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実佐子の日記

三代目女将・濱口実佐子

南国土佐は、美味しいお酒とたくさんの食材に恵まれたところ。そして、「人の心があったかい」と言われます。
酒・食・心。この三つが土佐の宝だと思っております。私の祖父母が一代で築いた、この料亭濱長の宝も酒・食・心。
そもそも、祖父が酒屋に勤めていなかったら、お店をすることはなかったでしょう。祖母が作ったおでんの出汁があったから、料亭に発展したのでしょう。祖父と祖母が大切にしてきた人と人との繋がりと情。
この3つは、濱長の三種の神器。
日本の、土佐の…先人達が培ってきた財産は文化。その根底を正しく受け継ぎ、時の流れとともに歩むことができるよう紡いでいきたいと思っております。
常に宝を磨き、輝きを失わないように。常に、今を喜んでいただけるように。
進化しつづける料亭でありたいと思っております。

濱長女将・濱口実佐子プロフィール

1964年(昭和39年)1月8日 高知市生まれ。
幼少時、実の母親と離れての生活を経験した後、
10歳の頃、再び母親のもとで暮らすこととなる。
母から注がれる愛情と、
祖父母が営む老舗料亭「濱長」の「和の心」を重んじるという環境に囲まれて成長。
高校卒業後、美容室に勤務。
最年少で店販(商品販売)売上げトップの成績を上げる。
その後、濱長を母と共に手伝う中で、サービス業の楽しみを覚え
人を喜ばせることが自身の使命ではないかと感じる。
自らの力を試すため、20代前半にてラウンジ・クラブの経営を始める。
持ち前の発想力を武器に店舗拡大を繰り返し、
2000年(平成12年)11月7日、ラウンジ「桜塾」をオープン。
高知のナイトスポットでの有名店の1つとして実りを得ることとなる。
その一方、(平成13年)時代のあおりを受け暖簾を下ろしていた濱長の
土地売却の話が(平成18年)冬に持ち上がる。
2007年(平成19年)奔走の末、11月。祖母・千代子を大女将、母・賀世を女将、自らが若女将となり、土佐のお座敷遊び・芸妓がもてなす「料亭濱長」として営業再開を果たす。
2009年(平成21年)、祖父・八郎が立ち上げに情熱をかけた高知最大の夏祭り「よさこい祭り」に「濱長・花神楽」としてチーム出場し、翌年全国大会にて武政英策賞を受賞。
2012年(平成24年)に高知県からの依頼により、台湾ランタンフェスティバルにて初の海外演舞。
同年3月、女将襲名。
2013年(平成25年)9月3日、高知県観光特使として認証を受ける。
現在、料亭濱長店舗5階にて、長女・咲良と二人暮らし。

女将プロフィールのPDFをダウンロードはこちらから

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女将・濱口実佐子プロフィール


「ALS:筋萎縮性側索硬化症」を支援 参加致しました


女将・濱口実佐子より 

今話題のアイスバケツチャレンジは、筋肉の委縮や筋力の低下を来す大変重篤な難病疾患「ALS:筋萎縮性側索硬化症」を支援するためのキャンペーンです。
いろいろと賛否のお考えも有るということは承知していますが、このキャンペーンで寄付金が大幅に増え、
皆様の認知度も高まっていることも事実です。
私・濱口実佐子、東京原宿元気祭りスーパーよさこいからの、東京出張中に、高知県観光振興課部長の久保博道様よりご指名いただきました。
24時間以内に寄付か氷水を被るか選んで実行しなければならないルールということですが、
私でよければ喜んで!…と趣旨を理解・賛同しましたので、
まず、25日に寄付をさせていただきました。
アイスバケットチャレンジのパフォーマンスは、
27日夕方・高知市唐人町 料亭濱長玄関前にて
私らしく被らさせていただきました。

少しでも、皆様に「ALS:筋萎縮性側索硬化症」を知ってもらえる機会となれば
幸いでございます。

濱口実佐子からの指名は次の御仁でございます

お一人目は、デハラユキノリさん。
高知県出身のフィギュアイラストレーターさんです。世界で活躍されている方です。

お二人目は、私の弟のような存在であります、高知県出身のギターデュオ・いちむじんの山下俊輔さん。先日TUBEさんのライブにも出演したり、今度は全米ツアーにもチャレンジするなど、幅広い活躍&プライベートも愛にあふれている方です。

そして、三人目は、「問題ない、問題ない、オ〜イエ〜!」で知る人ぞ知る!?私の良き理解者であり心の友であります「ま〜ちん」こと浜田章夫さん。

どうかバトンを宜しくお願いします。


サナギから蝶へ、そしてさらなる飛躍へ

濱口実佐子・濱長とともに

平成13年

旧濱長、あるとき突然閉店する。宴会のおわったまま、瓶も皿もそのままに、六年の眠りにつく。

平成18年

冬、旧濱長の土地などの売却の話が出るようになる。当時の大女将・千代子は、もう十年あったら私が買い戻してやるのにと、後の若女将・美佐子と女将・賀世にハッパをかける。大女将にとって濱長が別の名前で料亭になったりすることは死と並ぶくらいのこと。建物が人手に渡るなら首を釣って死ぬと美佐子に告げ、美佐子は濱長を買い戻すべく事業計画もないままに銀行へ「私にいくら投資してくれるが」と電話。そんな無茶なとはじめは相手にしてもらえなかったが、やがて「なんや簡単なことやか、濱長を復活したらえいがや」と気付く。

平成19年

春、銀行と契約。同時期、大阪の占い師から「年内にオープンせんと“お嬢ちゃん”の命も危ないし、お店もうまくいかない。あと、1人でここに住まないといかん」と占われてしまうも、閉店当時のまま時が止まったかのような濱長で暮らすことに美佐子は子どものように抵抗。「こんな幽霊屋敷に住むばあやったらやめる!」とほたえるも、歯車は既に動き出しており、誰も止めることはできなくなっていた。
9月に着工。そんな大変な時期に高知県知事選。賀世の反対をよそに、店の準備を放置して美佐子は応援に駆けつけ、尾﨑正直候補の出陣式で「頑張ろうコール」をする。すべてはギリギリの日程のなか、11月23日に濱長が再オープン

平成20年

犬と共に濱長の最上階で美佐子が暮らし始めるが、以後セコムにひっかかるのがひとつの習慣になる。はじめてひっかかったのは日本酒を飲み過ぎて喉がカラカラになったとき。部屋の冷蔵庫になにもなく、千鳥足で濱長の厨房の冷蔵庫から取り出した氷水で蘇生して爆睡に突入するも、この一連の動きのなかで美佐子は2回セコムに引っかかっていた。目下爆睡中の美佐子に連絡がつくはずもなく、しかるに不審者突入の可能性ありとして、パトカー4台で駆けつけた警官何十人が美佐子宅へ突入。夜中のベルになんとか気づいた美佐子が這い出ていくと、懐中電灯をパッとあてられ「大丈夫ですか?」との問いかけに、美佐子は「ハイッ、今日はけっこう飲みましたが意外と大丈夫です!!」などと答え、たいそう呆れられる羽目になる。

平成21年

1月、従弟の竹村夫妻が濱長ではじめての結婚式ならぬ「祝言式」を開催。大改装で開けた吹き抜け回廊で「しばてん踊り」、松山のパフォーマー「ヤミーダンス」が高知県立美術館に先駆けて濱長祝言公演を果たし、美佐子は「こんなこともできるがや!」と強い衝撃を受ける。
3月、「桃花のおきゃく 道場六三郎を味わう」を開催。料理を見せながらつくり、そこで食べてもらうことにこだわる道場氏の「ここが厨房だったらいいのにな!」という言葉を真に受け、回廊に仮設足場を組んで蓋をし、厨房を設置してみせる。
9月、3月のイベントに来ていた司牡丹の竹村社長が「これがいい!」と唸りだし、この方式で「ラ・ボンバンス」をやりたいということに。銀行からまた借り入れを受け、回廊に蓋をする。(取り外し可能)濱長復活にあわせて思い切って穴をあけた回廊であったため、迷ったものの、芸妓の舞が見やすくなり、イベントもしやすくなる。すなわち、美佐子が調子をこきはじめるきっかけとなったのが、このイベントである。
12月、大女将・千代子が天寿をまっとうする。同月末、「第一回三味線もちつき」を開催。大女将が他界して間もなくの時期でもあり躊躇するが、2日前に「大女将も賑やかなほうがえいにかあらん!やっぱりやる!」として決行。濱長のスタッフといえば美佐子の思いつきにてんてこ舞いというのがパターン化する。

平成22年

2月、エフエム高知で毎月2回、「美佐子でございます」をスタート。以後ゲストをを呼んでは飲み屋トークが大炸裂するようになる。
3月、美佐子にとって何度か目の「一世一代の決心」で四国各県の芸妓に集まっていただき、舞を披露する「桃花のおきゃく四国四県華の舞」を開催。徳島だけは都合がつかず、がっくりするも、阿波踊り「渦の会」による踊りに感動。滅多に静かにならないお客さんも鳥肌を立てる。
4月頃、先の大阪の占い師による「言っておったやない!もっと広く開けんと」との無茶なアドバイスを受け、再び借金をして玄関を作り直し、間口を広げる。
8月、柳町をベースキャンプに、よさこい祭り連「濱長花神楽」として初出場。これ以上借金を増やしてどうすると賀世に怒られながらも臆することなくまた積み上げる美佐子。娘と短パン・突っかけ(サンダル)でアイスを買いに出掛けて戻ると警察がウロウロしているのを発見。「なんかあったがやろうかね」と少しワクワクしていると、「濱長さんですか?セコムです」とほくそ笑まれる。その後セコムの解除ボタンも使いこなせるようになるが、酔っぱらった勢いに任せて緊急ボタンを「訓練」という名目で押し、セコムに極めて小刻みな仕返しをする余裕が出てきたとか来ないとか。
12月、このあたりから加速度的に美佐子が調子づき始める。モーキャンドル、ギターデュオいちむじん、クリスマスジャズライブと2夜連続で3つのイベントをこなす。ちなみにモーキャンドルは賀世目当てで電話をしてきているっぽいと、美佐子も賀世も思っているが、定かではない。

平成23年

2月、赤岡の川に浮かんでいた趣のある屋形船(決して古いとは言わない)をたくさんの協力者と共同で買取り、「土佐丸」と名付けて運航を開始する。小さいながらも濱長丸以来の船上料亭として、鏡川丸山台などを舞台にした結婚式やおきゃくなどのイベントを目論んでいる。
4月、いつも通り急に思いつき、「着物でジャズライブ」を開催。いつも突然思いついては2ヵ月後には本番を迎える日々。
5月、「京に都をどりがあるならば、土佐に土佐をどりがある」と、「土佐をどり」を開催。ポジティブすぎる美佐子は、この催しが土佐のゴールデンウイークの核になると本気で信じてしまっている。
6月、「白田久子のビューティートークショー」を開催。白田さんの出会いは、平成18年の冬ごろまでさかのぼる。美佐子がママを務めるラウンジ桜塾の帰りに弁当屋で出会い、「どこの店で働きゆう?」と声をかけ、しまいには「桜塾のナンバーワンにしちゃおき」とまで迫り困惑させてしまっている。翌年、白田さんがミスインターナショナルに選ばれると、またひとつここで美佐子は「私には世間に負けん先見の明がある!」とほくそ笑む。
7月、念願であった「土佐ふり茶」の販売にこぎつける。今ではキオスクなどいろんな店で打ってもらっている。まだの方は契約いつでもOK。
8月、2回目のよさこい祭り出場。これが最後ぞねと賀世から言われていながら、うっかり前夜祭で「サウンドショー」を受賞。これで最後かと思いきや、ちゃっかり本祭で地区奨励賞まで受賞してしまい、さらに後夜祭では武政英策賞まで受賞してしまう。もともとよさこい祭りは武政氏と初代店主(美佐子の祖父)八郎たちが皆とつくりあげたもので、なによりもうれしい朗報となった。一方、これでまた来年もやらざるを得なくなったので、またもや借金を重ねる事が確定。賀世・美佐子とも既にやる気になりつつ、なんとなくよさこいの王道を果たした気分になっている。

平成24年

2月、「濱長花神楽」が台湾へと遠征する。踊り子要員として美佐子も仕方なく踊るが、さすがに身体が追いつかないことを実感しはじめる。一方、半端ない台湾の大歓迎ムードに興奮。すっかり気分はスター。
3月、美佐子、サナギから蝶へ(若女将から女将へ)。賀世、女将から大女将へ。襲名披露の宴席は2日間、2Fと4Fを貸し切る規模にふくれあがる。美佐子は成長とともに濱長へ「嫁ぐ」という意志の表れとともに、姓を「八松」から再び「濱口」姓へ。
成長とともに濱長へ「嫁ぐ」という意志の表れとともに、姓を再び「濱口」姓、名を「美しい土佐の子」の「美佐子」から「実りある土佐の子」の「実佐子」と改める。
5月、昨年好評だったために調子づき、第二回「風薫る土佐をどり」を開催。同じ「はま」繋がりの「はりまや町界隈」ということで「菓舗・浜幸」さんを巻き込み、こけらおとし企画として浜幸前でお茶と銘菓・白花栴檀のふるまいをなんと無料で行う。当日の雨もようもなんのその。はりまや橋を訪れる観光客に笑顔を振りまき雨を吹き飛ばしてしまう。
8月、二度あることは三度ある…いや、仏の顔も三度まで。まわりの覚悟は的中し、3度目のよさこい祭り参加へ。ちょっと慣れて来たのをいいことに後夜祭の待ち時間につい飲み過ぎ、中央公園ステージで司会もたじろぐ実佐子トークが炸裂。
休む間もなく「記念にもなるし、いっぺん行っちょこうか。お母さんも喜ぶろう。」と東京原宿スーパーよさこいに初出場。まさか受賞はあるまいと、授賞式を待たずして「あー、おもしろかったねえ。」と急ぐ道中に「原宿賞受賞」の一報を聞くこととなる。この時、すでに羽田空港へ向かうモノレールの中。賀世の溜め息を聞きながらも、来年明治神宮で奉納の舞を踊れることに喜ぶ実佐子であった。
10月、花神楽、今度は韓国にて演舞に白羽の矢。戦後の韓国で孤児を守り育てた高知出身の田内千鶴子氏生誕百周年記念祭へのオファー。「はちきんパワーが戦後に海の向こうで活躍しちゅうがや!」と感激し、二つ返事で韓国行を決める。
12月、倫理法人会・モーニングセミナーでの講演依頼。波瀾万丈の半生と、おもてなしの心について熱く語り過ぎ、所要時間を20分もオーバー。評判は上々で、これに味をしめてしまい、24日にも講演を行う。

平成25年

2月、芸妓・司、仲居頭・冬美を襲名。趣向を凝らした出し物の中の演出にドライアイスを登場させ、客人を「あっ」と言わせる。
2度目の台湾ランタンフェスティバルよさこい遠征へ。同じ行くならさらにプラスαをと、芸妓を引き連れ土佐の観光PR。
3月、かつて料亭があり、板垣退助ら自由民権運動の立役者たちが集ったという鏡川に浮かぶ無人島「丸山台」にて「丸山台でおきゃく」を開催。視察のために賀世と島へ乗り込むが、雪のように降り積もった鳥のフンの悪臭に驚きながらも、諦めるどころかがぜんヤル気を出す。おきゃくは大成功。第二回・三回と続ける意欲満々。そのうち「濱長台」に名前を変えたいと思っているとかいないとか。
5月、石の上にも3年。「風薫る土佐をどり」も目出度く三回目。岩手や青森からの予約に「すっかり土佐の風物詩やね」とニンマリ。
8月、周りの心配もなんのそので花神楽4度目の出場。よさこい祭り60周年のお祝いムード一色の中、祭り創設に携わった祖父・濱口八郎の話題に触れる事もしばしば。それを追い風にしようと若柳由喜満先生を地方車に引っ張り上げる。今こそ原点よさこいの良さをアピールしようと張り切る由喜満先生、賀世は新聞にカラーで登場し、さらに気合いが入る。それをいいことに、ちょっとサボり気味の実佐子であった。それが功を奏したか?本祭では悲願の「色の名前がついた賞・銀賞」を受賞。しかも、よさこい祭り全国大会でなんと前代未聞、2度目の「武政英策賞」を受賞してしまう。もちろん、その勢いのまま東京原宿スーパーよさこいへ向かう。二度目ともなると人から声をかけられることも多くなり、途中で皆とはぐれてしまい、集合写真に写っていない、という事態が起きる。
9月、念願の高知県観光特使の認定証授与式。前祝いの飲みが調子づいてしまいフラフラの状態で知事と握手を交わす。酒の國・土佐の、ある意味「真の観光特使」の姿か?本人曰く「ちゃんとします」宣言を行う。

平成26年

2月、奇天烈な格好をし、厄を追い払うという江戸時代からの伝統文化「節分お化け」を今年より本格的に開催。自ら「あんみつ姫」に扮し、長女・咲良扮する「バカ姫」と「親バカ演技」を披露する。
今年は台湾ランタンフェスティバルへのよさこい遠征は別チームが行うから、と呑気にかまえている実佐子に、突然のオファー。出発まで2週間を切った状況で台湾行を決め、芸妓の「かつを」を率いての土佐の伝統文化アピールというお役目を担い、台湾へと旅立つ。
8月、前年まさかの2度目の「武政英策賞」を受賞してしまい、もう出場しないと格好がつかなくなってしまった「よさこい祭り」。着々と準備をしていたが、天の悪戯。開催日一週間前から西日本に台風が2度襲来。よさこい祭り自体の開催が危ぶまれる。実佐子率いる濱長花神楽は9日前夜祭にエントリしていたが、前夜祭は中止となってしまう。「残念無念」の声が飛び交う中、「みんなあ前夜祭に出るつもりやったがやろ?ほんなら時間があるがやいか。どっかで集まって踊ったらえいがや。」と濱長2Fで「勝手に前夜祭」を開催。160名の「前夜祭難民」が集合し、踊れや歌えの前夜祭おきゃくで盛り上がる。気になる台風は、その勢いにおののいてか、足早に高知上空を駆け抜け、本祭は無事開催されることになった。
11月、数ある濱長のイベントの中でも上位人気である「もみじ祭り」。馬肥ゆる秋に開催される食のイベント。伊勢海老、松葉蟹、松茸などなど味覚の王者が目白押しでお客様を満足させた後に待ってましたの濱長十八番・芸妓のお座付。この日、「とある舞妓をデビューさせる」と実佐子は一部常連に告知。開けてびっくり、新人舞妓はなんと六歳の女の子!名前は「りよ」。舞の手つき顔つきも堂々たるもの。この日の舞台の人気を「かっさらう」勢い、拍手喝采・声援にまたしても実佐子はほくそ笑む。なにやら舞妓育成について企んでいるらしい。