TOPICS

  • 晴れの日のおきゃく和婚
  • おすすめコース
  • 料金プラン
  • ご予約の手引
  • 濱長Facebook
  • 私たちはピンクリボン運動に取り組んでいます。

濱長イベントリポート

【狂言】2014年9月28日(日)

たくさんのご来場、まことにありがとうございました。
イベントリポートをお楽しみくださいませ。

料金  15,000円
とき  2014年9月28日(日)18:00開場/19:00開演
ところ 料亭濱長

狂言とは?

狂言は、道理に合わない物言いや飾り立てた言葉を意味する仏教用語の「狂言綺語」(きょうげんきご)に由来します。猿楽の滑稽な物まね芸を指す言葉として転用され、それらの名称として定着したそうです。一般名詞としても、滑稽な振る舞いや、冗談や嘘、人をだます意図を持って仕組まれた行いなどを指して狂言と言うようになりました。
同じく猿楽から派生した「能」は面(仮面。おもてと読む)を使い、舞踊的要素が強く抽象的・象徴的表現が目立ち、物語の題材はは悲劇的なものが多いのが特徴です。
これに対し狂言は、基本的には面を使用せず、猿楽の持っていた物まね・道化的な要素を発展させたものであり、せりふも含め写実的表現が目立ちます。物語は風刺や失敗談などユーモアのあるものが多いのが特徴です。
今回は、名門・和泉流より、髙澤 祐介さま・三宅 右矩さまをお招きしての狂言舞台が実現。
お二人とも、実績もあり、これからをも期待されている狂言師でございます。
初秋の味覚を愛でながら、日本の伝統文化の「笑」をご堪能いただきました。

狂言師プロフィール

髙澤祐介(たかざわゆうすけ)重要無形文化財保持者

昭和47年生。三宅右近に師事。昭和62年「痺」で初舞台。
平成10年「三番叟」、平成12年「釣狐」、平成14年「金岡」を披く。
フランス、ドイツ、モスクワ、スペイン、ブラジル他、多数の海外公演にも参加。
狂言会「祐の会」を主催。能楽協会会員。

三宅右矩(みやけすけのり)

昭和58年生。父、三宅右近に師事。祖父は人間国宝・故九世三宅藤九郎。
3歳で初舞台「靫猿」に出演。平成14年「三番叟」、平成17年「釣狐」、平成19年「金岡」、平成21年「花子」を披く。能楽協会会員。

フォトレポート

まず、髙澤さまが、狂言という芸能と、
楽しみ方のいろはを解説してくださりました。
狂言は本来、能舞台で披露するもの。
舞台下手側にある長い廊下的な通路から登場するのですが
今回は、可愛らしいサイズの廊下を急ごしらえでご用意。
そして、舞台に登場したら、まずは「誰なのか」を名乗るそうです。
そこから話が展開します。

場面や道具なども台詞にきちんと入っていますので想像がしやすい仕掛けになっております。
四角四面の舞台は、三角形に使用し、上手側舞台の面は使わないという作法です。
演者が舞台上の「使わない」位置に居る時は「無いもの」として解釈します。
その他、狂言の見方を教えていただきましたが、
髙澤さまのお話だけで、狂言がすっかり身近なものに感じるようになりました。

演目1「盆山」(ぼんさん)

世間では盆山(盆の上に山を模した岩を置いた置物)の収集が大流行。その盆山を一つも持っていない男が、ある夜友人の何某宅に盆山を盗みに入ります。屋敷の垣根を破って敷地内に忍び込む男ですが、すぐに何某に見つかってしまい、慌てて盆山の影に隠れますが…

盗みをする役柄が髙澤さま、盆山の持ち主であり、家の主が三宅さま。
二者のしらじらしいやりとりの空気と、
演技が徐々に高揚していく様子が素晴らしい舞台でした。
盗みはするものではありませんね(笑)。

     

「寝音曲(ねおんぎょく)」

昨晩、ふと通りがかった太郎冠者の部屋の前で見事な歌声を聞いた主人。太郎冠者を呼び出して、さっそく謡えと命じます。太郎冠者は、これからも度々謡わされてはかなわぬと、酒が入らないと謡えない、子持ち(妻)の膝枕でないと謡えないなどと言って断ろうとします。しかし是が非でも謡を聞きたい主人に観念した太郎冠者は、ただ謡うにしてもできるだけ手こずらせようとして・・・

主が三宅さま、太郎冠者が髙澤さま。
三宅さまの演技は、堂々として自信に満ちあふれた主人らしい、ちょっと高い所から見下ろしているようで、でも、太郎冠者の唄を聞きたくてしょうがないので何とかしたいというはがゆさがうまく出ていました。

そして、話の中でお酒を何杯も何杯も主人に注がせては飲み干す太郎冠者。除々に酔っていく様を見事に演じられており、これには会場の皆さまも目をみはっておりました。
そして、当然ながら演者は笑わないのですが、それが、おかしなことを大真面目にやっているような景色に思えて、体のどこかしらから笑いがこみ上げてくるような感覚でした。

    

ごあいさつ

二つの演目が終了し、大女将・賀世からごあいさつをさせていただきました。
今回はこのような機会をいただき、お二人には本当に感謝しております。
そして、お二人を濱長に引き合わせてくださった弁天座・塩井さまにも大変感謝しております。
塩井さまより、お二人とのエピソードなどを語っていただき、
そして、濱長1階にてお二人と打ち上げをしようではないか!とのお誘いが!
実は髙澤さまは、俗にいう「いけるクチ」の方で、
塩井さまとも「飲みニケーション」仲間のようです。
そして、通常の狂言舞台ではカーテンコールのようなものはないのですが
この空気は、やはりお二人は舞台に再度登場していただかねば!
再び拍手で登場してくださいました。

最後は濱長の芸妓のお座付きにて

趣きのある笑いの後は、秋の景色を描いた舞でしっとりと。
秋の夜長、時間をたっぷり惜しみなく…

 


乙女文楽「鷺娘」

*6月14日(土) 15,000円
18:00…開場
18:30…乙女文楽開演
19:30…お食事

日本の伝統芸能である人形芝居「文楽」。
乙女文楽は、文字通り女性の人形遣いが繰り広げる人形芝居。
三人で、一体の人形を操るのが文楽。
乙女文楽は、一人で一体の人形を操ります。
研ぎすまされた感性と技を持つ一人の女性人形遣いと、
繊細で美しい文楽人形の魂がひとつとなる空間と時間…
日本の伝統文化の趣き・上質の感動をお送りいたします。

乙女文楽とは

昭和の初期に大阪で始まった、少女たちによる一人遣い人形芝居の
今日までの総称を「乙女文楽」と呼んでいます。
乙女文楽は、三人遣いの文楽人形を一人で遣います。
①人形の首(かしら)を、遣い手の頭と左右一本ずつの細紐で連結。
②人形の着物の両の袂の後ろから手を入れて、
 人形の手を持ちます。③足は遣い手の膝頭の上に結わいつけ、
 人形遣いの身体の動きを直接人形の動きに置き換えます。
この3つの方法で、遣い手は文楽人形を巧みに操ります。

鷺娘/あらすじ

雪の池辺に白鷺が、白無垢姿の娘と化し、傘をさして現れます。
恋に悩む身を振りで見せ、一転して派手な町娘になり、華やかに踊り、
更に地獄に堕ちた修羅の責め苦にあい、
狂いにくるって凍え死んでいく様を描いています。
この演目は、乙女遣いと棒遣いの人形を遣います。

人形遣い手・桐竹 繭紗也

兵庫県淡路島出身
1996年、人形劇団クラルテに、約9年間在籍
1995年、阪神淡路大震災で、生家全壊。
退団後、以前から取り組んでいた乙女文楽の活動を始める。
浄瑠璃人形の制作は、故三世由良亀師に師事。
人形操作方法は吉田光子師(腕金式)に手ほどきを受け、
故桐竹政子師(胴金式)に師事する。
日本舞踊を故藤間勘二郎師に師事。
2004年、桐竹繭紗也の名前を許される。

現在フリーで、自作の人形と共に、
人形舞を中心に幅広く活動を続けている。
古典をベースに津軽三味線、和太鼓、尺八、箏、笛、琵琶の他、
ヴァイオリン、チェロ、ピアノに二胡等との共演に取り組んでいる。
アメリカ、ドイツ、スイス、イタリア、トルコ、
インドネシア、香港、台湾等、海外公演も多数行い、
消滅の危機にある乙女文楽を、
生きた芸能として存在すべく、日々活動を続けている。

津軽三味線奏者・久保 比呂誌

神戸生まれ。幼少よりピアノを始め、
日本大学芸術学部音楽科で作曲を専攻する。
作曲家、ピアニストとして活動していたが、
故、初代・高橋竹山師の
「津軽じょんから節」に感銘を受け、
津軽三味線を始める。

1990年、津軽三味線での演奏活動を始める。
自らのユニット「音蔵(おとくら)」を結成し、
三味線、ピアノ、作曲を担当。1995年、阪神淡路大震災で神戸の自宅を全焼。
1998年より、海外での演奏も行うようになり、
イタリア、ドイツでコンサートを行う。
現在、「津軽三味線とピアノ」を演奏する異色のスタイルで、
各地のホール、酒蔵、学校等でのコンサートを開催。
さまざまな楽器、ジャンルとのコラボレーションを行う。
オリジナル曲の制作、ダンス・日本舞踊公演、歌劇団公演、ほか
舞台音楽を担当する等、作曲家として精力的に活動している。
「風の行方」「こもれび」「生命の詩(いのちのうた)の
CD3枚をリリース。

フォトギャラリー


詳細をみる

風薫る土佐をどり/2014年5月

5月2日~5日の4日間にわたり「風薫る土佐をどり」を開催いたしました。
皆様のご協力を得て、7回講演、高知県内はもとより、
千葉・東京・静岡などの関東、関西は京都・和歌山・広島他、さまざまな地域から、そして海外はオーストリア・カナダからなどたくさんのお客様にご来場いただいた上、
たいへん盛り上げていただき無事千秋楽まで公演をすることができました。
初日の5月2日のお昼には今年も株式会社浜幸様との共催にて、
はりまや橋・浜幸前で土佐をどりのこけら落とし行事として
芸妓・舞妓がおうす(お茶)・和菓子を振る舞い、踊りを披露、記念写真撮影を行いました。
まさに「五月晴れ」と言えるお天気に恵まれ、おもてなしをさせていただきました。
「土佐をどり」は、今年で4回目の開催。出演者ならびにスタッフ一同、
皆様にお目にかかれる嬉しさと、華やかな舞台を楽しんでいただけることの
喜び一杯で初日を迎えました。
公演を終え、皆様を御見送りする際、温かいお声を頂戴し、
毎年ご来場くださるお客様からも「毎回楽しみにしている」等の、
ありがたいお言葉をいただき、本当に心の励みとなりました。
今回は和装でのご来場のお客様も増え、会場が和の雰囲気で華やぎました。
ありがとうございます。
また、「安芸赤野若連」の獅子舞や四万十市・間六口さんのバナナの叩き売り、
有志の皆様の協力による「狐の嫁入り」など、
日替わりにてゲストをお招きした初の試みをさせていただきました。


フォトアルバム

こけら落とし行事・浜幸前にて、おうす(お茶)と白花栴檀のお振舞

演目1)北州 立方…琴魚

演目2)娘道成寺 立方…若柳由喜千代・かつを


詳細をみる

2014年3月22日(土)・23日(日)手妻師「藤山晃太郎」

手妻の大家、文化庁芸術祭大賞受賞者・藤山新太郎のもとで正統な古典奇術を継承。
公益社団法人日本奇術協会にて5年連続「ベストマジシャン」となる。
フランス、台湾、中国など世界を舞台に活躍するいっぽうで
インターネット動画投稿サイト「ニコニコ動画」の動画アップ主としての顔を持ち
自身の持ち芸動画はもちろん小林幸子の動画プロデュース
初音ミクの操り人形動画などでネット界隈でも奇才を発揮。
日本の伝統芸能の過去・今・未来を紡ぐ若手として注目をされているひとりである。

手妻とは?

江戸古典奇術、手妻(てづま)は、演技・演奏・衣裳が一体となって
ストーリーを語り込むという、日本が独自に生み出した、
世界でも稀に見る素晴らしい芸能でした。
やがて手妻は和妻と名前を変え、多くのマジシャンが行うものになり、
広義には和風の雰囲気で行うマジック全般に使われるようになります。
藤山晃太郎は、正当な手妻を継承している、若手で最も注目されているマジシャン。
生粋の『手妻師』として全く古典通りの手を演じるとともに、
古典の意味合いと情緒を踏まえた、より派手でアクロバティックにアレンジした
手順も演じ分けている俊英。
和の世界が作り出す、圧倒的な美しさと迫力の『本物の芸』をあなたの元にお届けします。

フォトアルバム

懐紙の扱い

小さな布袋の中には何もないはずなのに、卵が出てきます。最後にはひよこが現れます。



詳細をみる

2014年3月2日「丸山台でおきゃく」


丸山台の位置

高知市を流れる鏡川河口に位置する小島が丸山台です。
ここはかつて、自由民権運動が盛んだった頃、「此君亭(しくんてい)」という料亭が営まれており、何隻もの屋形舟が毎夜毎夜停泊し、土佐の自由民権運動家が集い、盃を酌み交わしながら
「自由民権」について語りあったという史実があります。


弘化台から眺めた丸山台

丸山台を貴重な「史跡」として、もっと広く一般の方々が気軽に訪れることができるようにしたいという声が地元はもとより、日本全国の各方面から上がっております。
高知市弘化台の岸壁からほど近い丸山台ですが、舟で渡るしか方法がないため、なかなか一般の方が気軽に足を踏み入れることができません。
自由民権運動の歴史を語っている石碑等も整備されてはおりますが、利用者がいないため、手入れが行き届いていないというのが現状です。
そこで、弊社が各関係方面へのご理解・ご協力をいただき、舟で丸山台へ渡り、もてなしを行うことで、広く一般の方々が気軽に訪れることができる1つの「機会づくり」となり、自由民権の歴史をたどることができる憩いの場、そして高知の観光のお役に立てるのではないかと思い、2013年の春「土佐のおきゃく」期間中に第一回を開催いたしました。
それが好評を得て、2014年も開催するに至りました。

濱長が主催する意義


此君亭跡石碑

自由民権運動は土佐の地でとても盛んだったと言われています。
自由民権の象徴である板垣退助氏が高知出身だったことが最大の理由ですが、
土佐の酒席スタイルが功を奏したようです。
土佐芸妓たちが「自由民権かぞえ唄」「自由民権都々逸」などをお座敷で唱って披露。
しかも、振付け付!
酒席で楽しく唄って踊りながら自由民権の志の「刷り込み」がされたという訳です。
その歴史の一コマを再現し、体感していただきたい、と思い
この催しを企画しております。


また、昭和の初めには丸山台に屋形船が何隻も停まり、丸山台にあった料亭で「おきゃく」を催していたそうです。
その優美な風情をもう一度、という声があちらこちらから聞こえてまいります。
丸山台は鏡川と浦戸湾の境にあり、小島であるがため、障害物がなく、大変眺めの良い場所です。
歴史と景観。観光スポットとして活用したい。観光特使の居る料亭としてお役に立ちたいと思っております。

「丸山台でおきゃく」リポート

開催日前2〜3日はお天気がぐずついておりました。雨の降る中、高知県土木港湾課の皆さんや高知ファイティングドッグス、そして濱長スタッフが草引き、鳥の糞の掃除を行いました。
前日もお天気とにらめっこをしながらの桟敷席設営。畳敷きに大変気を遣いました。
催し当日。そんな心配を忘れてしまうほどのお天気に恵まれました。
お客様の中にも「いや〜、濱長さんのすることやから晴れると思っていた!」と
うれしいお言葉。いえいえ。私たちばかりではございません。皆様の願いの力にも大いに助けられての当日!感謝感謝で幕開け。
「かがみ川ゆう遊クラブ」様、「太平洋マリン」様、「ツバメガス」様の協力により
船を出していただき、お客様やお料理を丸山台へ。


まずは、高知で自由民権を語らせたら右に出る人は居ない!とされている公文豪先生による
自由民権運動と丸山台に関する講座。
参加の皆さんが熱心に聞き入る様子を察し、公文先生の熱弁はさらに力が入りました。
マイクもいらないのではないかという、力強い声…
板垣退助も、こんな風に丸山台で「自由は土佐の山間より」と声を高らかに士気を高めていたのではないかと想像してしまいました。



料亭此君亭や芸妓の活躍に話が盛り上がったいいタイミングで、屋形船に揺られながら芸妓が登場。そして女将長女の咲良も春らしい淡い桜色の着物で登場。
丸山台にシャッターの音が鳴り響きます。


普段、お座敷や舞台で会う芸妓と違う趣。芸妓たちもこの日は開放感にあふれています。

役者も揃い、いよいよ「丸山台でおきゃく」開始です。
丸山台おきゃくの、のろし…いえ、旗揚げをした女将・濱口実佐子のごあいさつ〜乾杯から
はじまりました。
昨年を上回るご来場のお客様を前に、女将も感謝の笑顔いっぱい。
お重に入ったお弁当は春めいています。少し海風が悪戯をする中、早春の味を楽しんでいただきました。そして、板垣退助になった気分で浦戸湾を眺めながらのお酒は格別!

お腹も満足して、和んだ頃に「自由民権お座付き」のはじまりはじまり!
自由民権数え唄を一緒に歌ったり、枡芸を楽しんだり。枡芸の文字はもちろん「自」「由」「民」「権」!
高知県立文学館の学芸員・永橋禎子さんがお席にいらっしゃったのでお座付きの解説を急遽お願いしましたが、にこやかにわかりやすくお話していただき、さらにアカデミカルな雰囲気!
永橋さん、ありがとうございました!公文先生も頼もしそうに聞いていらっしゃいました。
そして、箸拳タイムに突入!琴魚の解説によると、丸山台で箸拳が行われた最後は60年前。
60年ぶりの箸拳勝負の最初に立候補したのは大石宗さん。その後続々我こそはと芸妓に勝負を挑む強者が。
中締めは、土佐のおきゃく実行委員長の上村嘉郎さんにお願いをいたしました。
さわやかに(途中ツッコミもいただきながら…愛されキャラの上村さんらしい)中締めを決めていただいた後も、名残を惜しんで宴を楽しむお客様も。
早速、来年の構想を語る公文先生と女将。
自由民権運動家たちも、このように時を忘れて志しを語り合ったのでしょう…。