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土佐の風情を音と舞いで

濱長のお座敷では、
三味線や太鼓の伴奏に乗せて舞を披露させていただく
「お座付き」をお楽しみいただけます。
土佐に昔から伝わる民謡もレパートリーにございます。
県外・海外からのお客様はもちろんのこと、
久しぶりに高知に帰省された方にも大変喜ばれます。
数ある土佐の民謡のうちのいくつかをご紹介させていただきます。


芸妓絵はがき

濱長の芸妓・舞妓が、土佐の季節の風情とともに寄り添った
絵はがきをつくってみました。
季節のちょっとしたごあいさつに一筆したためたり
お部屋に飾ってみたり、いかがでしょうか。

春・桜と屋形船

ほのかに香る春の匂い。ほんのり染まる桜色。
かつをの頬も桜色。

桜の木の下で、ほんのり笑顔の
芸妓3人そろい踏み。
濱長から少し散歩した、
高知城のお掘りの一つである「堀川」沿いでの1枚。

濱長自慢の屋形船「土佐丸」で
ゆらりゆらゆら船遊びの芸妓たち。
桜の頃はまだ鏡川の水はちょっぴり冷たいのですが、
水遊び一番乗り気分でうれしくなっている三人です。


屋形船から見る鏡川の景色は、いつもと違う土佐の町。
濱長も一望できます。
しっとりと黄昏れて。かつをの瞳の先には何が映っているのでしょう。

濱長の初夏の風物詩・風薫る土佐をどり。
濱長の芸舞妓・仲居が総力を結集してお届けする舞の祭典。
料亭仕立てのお料理と一緒に楽しみませんか?
本物志向のあなたにうってつけ。


夏・魚の棚商店街とよさこい祭り

はりまや橋から東に歩くと「はりまや橋商店街」。
路地を一本入ると、こじんまりとした風情ある商店街に迷い込みます。
お惣菜の匂いや海の香りが心地良い。ここは魚の棚商店街。
七夕飾りが天の川のようにきらきらまたたいています。


乙姫様が舞い降りたよう。
星に願いを聞かせるために、色とりどりの短冊に思いをこめて
笹にこよりでつり下げて。
七夕まつり、星祭り。
舞妓は何を願うやら。

濱長花神楽の看板娘・女将の長女である咲良(さくら)です。
夏の元気をいっぱい浴びて、花神楽の踊り子たちを率いています。
日本舞踊は所作で感情を表現するため、顔の表情は抑えるもの。
だから、よさこいはついつい笑顔が全開になるようです。


よさこい踊りは町を練り歩きながら踊ることが基本。
100名以上の踊り子が
一糸乱れず気持ちよく揃った時、
全員の心が一致して、大きな感動が生まれます。
濱長花神楽、連続出場5回目の夏。
美しい「花束」となりました。

濱長花神楽名物「晒し」。
日本舞踊の小物の1つで、
川の流れを表現する際に使います。
長い長い布を2本、
自由自在に操るためには修行が必要。
水戸黄門の「印籠」ではありませんが、
花神楽といえば…のアイテムになっているようで
踊り子も気合いが入ります。


秋・竹林寺散策

四国八十八ヶ所霊場の1つ「竹林寺」は、紅葉の名所としても知られています。
西陣織のように赤や黄色が重なり合った景色の中に芸妓たちが溶け込みます。
木々それぞれに色があるように、琴魚・かつを・司、濱長の芸妓たちも色とりどり。


モノトーンの着物で気持ちを
グッとひきしめて。
一本筋が入ったように
気持ちのよい個性が光ります。
粋な琴魚ねえさん。

しっとりと黄昏れながら紅葉狩り。
赤と黄色のもみぢ時雨をかわす番傘に
どなたか一緒に入りませんか?


冬・もっとおそばに

濱長から歩いて5分の、
土佐の名所「はりまや橋」。
純信・お馬の恋物語は悲恋を
迎えてしまいましたが、
あらぬ逢瀬と知りながら、
語りあった気持ちの強さを
語り継ぎたく思います。

紅をゆっくり置く瞬間、
舞妓の魂がすっと入ります。
世界がつながり、境のない時代ではありますが、
つきつめたものを構築するためには、
境界線をつくることも
肝要かもしれません。


琴魚ねえさんの個性があふれんばかりに表現された1枚。
さあさあ、箸拳勝負してみませんか?
負けたら飲めます、美味しいお酒。
琴魚を酔わせる?それとも酔わされたい?

稲穂を簪につけて、
新たな年の出発に、明日に向かって視線を送る芸妓たち。
皆様に、土佐に、日本に、世界に…幸あらんことを願います。


お座敷遊びの一番人気!
本染めのしばてん手拭を、かぶるとあらあら摩訶不思議。
誰もがお囃子に合わせて踊りだす。
土佐の仮面舞踏会のはじまりはじまり!


よさこい節

「土佐の高知のはりまや橋で坊さん簪買うを見た」
あまりにも有名なこのフレーズは、
幕末の志士たちが、脱藩し江戸や京都にてお酒を酌み交わしながら
故郷・土佐を懐かしみつつ、口ずさんだと言われています。
仏に仕える身である僧侶が、女性の髪飾りである簪を買う?
その謎めいた歌詞で一躍話題になったそうです。

買った簪は珊瑚玉?

高知は珊瑚の産地でもあるため、
「よさこい節」の歌詞に出て来る簪は、珊瑚だ、という認識をされている方が多いのですが、
よくよく歴史の背景を考えてみると、
珊瑚は高級品ですので、御禁制の品…よほど位の高い人でないと所有できないものだったはず。
ですので、歌詞に出て来る簪は珊瑚ではなく、
細工物の「花かんざし」であったことがうかがえます。

純信ではなく、美男の僧慶全からの贈り物

お馬という女性は大変可愛らしい女性だったそうです。
五台山に住む、鋳掛屋の娘でフルネームは「大野お馬」。
ちょっぴり茶髪だったとか。
そのお馬と恋に落ちたのは、純信という僧侶。
…というのは、高知の地元の方や高知が好きな方はほとんどご存知かと思います。
しかし、純信の前に、お馬と恋に落ちた僧侶が居たのです。
慶全(けいぜん)という修行僧で、なかなかの美男子。
そして、歌詞の僧侶の正体は、どうもその慶全らしいのです。
修行僧を厳しく指導する立場にいた純信は、
うつつを抜かしてしまった慶全をたしなめていたのですが
自分もお馬の魅力の虜になってしまったのです。
慶全はお馬を奪われた腹いせに、
「簪を買った坊主は純信だ」と噂を流してしまいました。
土佐幕末の一大スキャンダルですね…

高知の風情が盛り込まれた歌詞の数々

「土佐の高知のはりまや橋で坊さん簪買うを見た」の他にも
たくさんの歌詞がございます。
お酒の席などで、いろいろな替え歌が生まれ、おもしろいものが定着していったのでしょう。


ご家族・大切な方 の大切な日を彩る

年を重ねる間の節目節目にある、お祝い事を「通過儀礼」と言います。
日本の公家社会、武家社会から伝わる良き風習です。
今までの歩んできた1日1日の歴史を喜び、これからの幸先を祈念する日。

また、さまざまな分野で功績があった、受賞をされた、新しい役に着かれたことなどの
たいへんおめでたい事柄をお祝いすることは、
今までの努力を讃え、これからの活躍を祈念すること。

日本のお祝いの席に欠かせない「祝い膳」

おめでたい席で祝意を込めてととのえる膳のことを「祝い膳」と言います。
食材選びから、祝い膳の決まりがございます。

*祝い膳の食材例

まず、その形や色合いが好まれていることから。そして、「めでたい」の語呂合わせも手伝って。
「鯉の滝登り」が出世や栄転を思わせることから、古くから祝い膳に供されています。
はまぐり婚礼に夫婦和合の象徴として。
黒豆「まめに暮らせるように」という願いをこめて。

お祝いのお席の内容にふさわしいお献立に
料理長が計らいをいたしますので、
ご予約時に遠慮なくお申し付けくださいませ。
私どもも、ともにお祝いをさせていただきたいと存じます。


芸妓の祝舞で、前途を祝して


お祝いの席に華を添える芸妓の祝舞。
こちらのほうもお席の内容によって、
ふさわしい演目がございます。
また、思い出のある・お好みの・所縁のある
演目なども喜んで承りますので、
ご予約時にご相談くださいませ。
サプライズ的なお祝いのお席であれば、
より一層、喜びもひとしおのことうけあいです。
高知では濱長でしかできない、お祝いの席のカタチです。


高知町づくし

♬1番
高知の松ヶ鼻 番所を西へ行く 農人町 菜園場
新堀 魚の棚 紺屋町 種崎町うちこして
京町行くとはや 会所が建っている
程なく使者屋をうちこして 堺町
本町 八丁通します そこらで升形
本丁つき抜け 観音堂

♬2番
旭の蛍橋 伊野から西へ行く
日下駅 西佐川 斗賀野に 須崎の金扉湾
新庄川うち渡り 久礼坂越すとはや
窪川 岩本寺 入野の松原はや過ぎて 四万十川
中村 宿毛に 片島や そこらで こづくし
土佐の東西ひとまたぎ

♬3番
高知の舟遊び 番所を東へ行く 松ヶ鼻 五台山
吸江前より法師前 のどかに海原へ
そろそろ乗り出す 抑えましょう 控えましょう
それから御畳瀬の初鰹 初鰹
だんだん日の手も廻りかけ
そこらで拳酒 四、五杯滝飲み 大騒ぎ

高知の旧地名が景色とともに数珠つなぎで盛り込まれた唄

元来は「高知町廻り歌」として、 高知市の花街で唄われていたものが
「手まり歌」になったものです。
旧高知城下の町名を、東から西へ詠みこんでいます。
町名変更が幾度かあったため、現在は聞き慣れない、
もしくは懐かしみを感じる町名が出て来るのが楽しいところです。
松が鼻は、今の宝永町の南端で、堀川のつきあたりに老松があり、
船着き場がありました。
番所は、後年水上警察署になりましたが、今はありません。
菜園場 新堀 魚の棚 紺屋町 種崎町  京町は
町名としては残っていませんが、
商店街の名前として健在しているものもあります。
会所 は今の高知大丸の場所。その前の堀川に使者屋橋がかかり、
橋のたもとには使者屋があって、 他藩や藩内の使者が通行していたそうです。
堺町は、泉州堺の商人が住んでいたことが由来。
本町八丁には武家屋敷がありました。升形は、それら武士の非常集合所で、
桝の形に正方 形の広場になっていたとか。
五丁目の観音堂は、思案橋の南詰めにありましたが、
現在は新月橋北詰め東へ移 っています。