芸妓・舞妓の居る土佐の風景
濱長の芸妓・舞妓は、濱長の店舗のみならず、お呼びがかかれば(いや、かかっていなくても?)はりきってお出かけいたします。皆様と交流することは、私たちが使命と思っている「日本の伝統文化を守り・紡いでいくこと」において、大切なことです。
そして高知県の観光振興のお手伝いをさせていただいております。
あちこちたくさん出向かせていただいております。写真もたくさん撮影いたしました。
芸妓・舞妓が歩く土佐の風景で観光スポットをご紹介させていただきます。
〒780-0864 高知市唐人町6-6 TEL.088-884-0080 FAX.088-861-4001
営業時間【昼】11:30〜14:00(L.O.13:30) 【夜】17:00〜23:00(L.O.22:00)水曜日定休[専用Pあり]
濱長の芸妓・舞妓は、濱長の店舗のみならず、お呼びがかかれば(いや、かかっていなくても?)はりきってお出かけいたします。皆様と交流することは、私たちが使命と思っている「日本の伝統文化を守り・紡いでいくこと」において、大切なことです。
そして高知県の観光振興のお手伝いをさせていただいております。
あちこちたくさん出向かせていただいております。写真もたくさん撮影いたしました。
芸妓・舞妓が歩く土佐の風景で観光スポットをご紹介させていただきます。
その名のとおり、高知市の中心街にある、高知市が管理する公演です。
アクセスの良さと、充分な広さがあるため、毎週土日はほとんどと言っていいほど
なにかのイベントが催されております。
高知県の春の一大イベント「土佐のおきゃく」のメイン会場であり
夏のよさこい祭りには、大規模なステージが作られ、前夜祭や全国大会のメインステージとなります。
写真は、「土佐のおきゃく」のオープニングイベントに参加した濱長組です。
2019年度も参加いたします。
中央公園は個人や企業単位でのイベントでの借り上げも可能です。
*詳しくは、高知市みどり課までお問い合わせください。
*濱長より 徒歩7分
江戸時代の土佐の城下は、大名となった山内家の手により形成されました。
高知城のお膝元には、家臣の武士が住まいを与えられました。
さらにまわりには、山内家がひいきにしている商家が呼ばれました。
その中に、播磨屋(はりまや)と櫃屋(ひつや)という豪商がありました。
両家の間は、堀が流れていました。
両家は互いの行き来のために、小さな橋をかけました。
その橋が大変便利であったがため、除々に播磨屋、櫃屋だけでなく多くの人たちの往来が増えたのでしょう。年月を経てできた「高知のメインストリート」です。
橋の欄干は、道が大きくなる度に少しずつ変っています。
3代前の「はりまや橋」は、ホテル三翆園様の庭園に保存されています。
*濱長より徒歩で3〜5分
関ヶ原の戦いの功績により徳川家康から土佐一国を拝領した山内一豊は、慶長6年(1601)大高坂山に新城の築城工事を始め、慶長8年(1603)に本丸と二ノ丸が完成、入城しました。
享保12年(1727)城下町の大火で追手門以外の城郭のほとんどを焼失しましたが、宝暦3年(1753)までに創建当時の姿のまま再建されました。
その後は、自然災害や明治維新による全国的な廃城の嵐、太平洋戦争など幾度となく襲った危機を乗り越え、「南海道随一の名城」と呼ばれる優美な姿をした建物を今に残しています。
平成15年には、築城400年、再建から250年を数え、本物の城の持つ偉容が訪れる人々を今日も歴史のロマンに誘っています。
*高知城オフィシャルWEBサイトより
<サイトはこちら>
*濱長より徒歩20分
土佐電鉄/はりまや橋電停より高知城前下車 北へ徒歩3分
高知城にも桜の木がたくさん植えられており、お花見の時期には大勢の花見客で昼・夜ともに賑わいます。その桜の花見を名残を惜しむように、「高知城花回廊」という催しが春に行われます。
高知県在住である、華道の各流派の先生方の素晴らしい作品と高知城の景色のコラボレーションをご覧いただけるのが1つの見どころ。そして、日本舞踊などの邦楽文化を、高知城敷地内に設けられた特設ステージ2〜3箇所、日替わりでお楽しみいただけます。
濱長芸妓・舞妓・地方衆も、日本舞踊若柳流と小唄田村流、皷の望月流の門下生として舞台に上がらせていただいております。
春らしい、華やいだ演目を披露させていただいております。
2019年度も参加させていただきました。
ご覧になってくださった皆様に御礼申し上げます。