2015年10月8日(木)開場17:30 開演18:00
お食事・濱長特製幕の内弁当付
大阪で生まれ、大阪の庶民に育まれてきた「人形浄瑠璃文楽」。二〇〇三年にはユネスコより「世界無形遺産」宣言を受け、日本国内だけでなく世界 中からも注目されています。
「文楽」は、耳で聞く語り物音楽の「浄瑠璃」と視覚に訴える「人形」という歴史的には全く別々に発達してきたものが、十六世末に偶然結びついて成立した芸能です。「浄瑠璃」には多くの流派が生まれましたが、十七世紀後半、大阪で竹本義太夫が「義太夫節」を始めてからは、これが人気の中心となり、「人形浄瑠璃」は大阪の町人文化を背景にして隆盛、発達を遂げます。十八世紀半ばには全盛期を迎えますが、やがて衰退。十九世紀に入ると興行師植村文楽軒が現れこれを建て直し、いつしか「文楽」が「人形浄瑠璃」の代名詞となり、現在に至っています。
高知県出身の人形遣い吉田玉翔氏とのご縁で今回の公演が叶いました
文楽人形遣いで人間国宝である故・吉田玉男師の最後の弟子・吉田玉翔さまの計らいで人形浄瑠璃文楽座の皆様をお迎えし、わずかな時間ですが、文楽のミニ公演を弊店で催ました。吉田玉翔さまは、高知県土佐清水市出身。高知県観光特使でもいらっしゃいます。弊店女将・濱口実佐子と「観光特使つながり」というご縁でございます。
華やかな装束の人形が晴れやかな三番叟では、舞台にとどまらず、客前で鈴を鳴らし種を撒く舞を披露。福が舞い降りるかのような気持ちで会場が満ち溢れました。
演目の間では、浄瑠璃や文楽の知識、演じ分けなどを楽しいお喋りとともに語っていただき、これからの文楽鑑賞をますます楽しく興味深いものにしてくださりました。
そして、艶姿女舞衣は、美しくも悲しい・悲劇のヒロイン「お園」の心情があふれる場面を魅せてくださりました。
吉田玉翔さまをはじめとする御一行さまは、気さくな方ばかり。
公演後の宴席では、なんと三番叟を演じた人形と、お園がお客様にお酒を振舞うといった大サービス。伝統芸能を紡ぐ技能者のみなさんの粋な計らいに、さらに宴の席が盛り上がりました。
そんな和やかな賑わいの中、またまた女将のびっくり発言が。
「来年、文楽のお七を玉翔さんたちに演じていただき、日本舞踊のお七を長女の咲良が舞う舞台を企画します!」と声高らかに宣言!
題して「二人のお七」?はたまた「ダブルお七」!?
ところは赤岡「弁天座」!
さあさあ、これからの情報が見逃せません!
今回の公演には、吉田玉翔さまはじめ、文楽座の皆様はもちろん、玉翔さまの高知ファンクラブ「翔の会」、高知県議会議員の桑名りゅうご先生、そして玉翔さまのお母様など、たくさんの皆様のご協力のもと、このようなすばらしい伝統文化・文楽の公演を弊店で開催することができました。本当にありがとうございました。そしてお忙しい中お越しいただきました皆様、ありがとうございました。
本公演 演目のご紹介
そもそも能の『翁』を義太夫節に移したもので、現在上演される『寿式三番叟』は、江戸中期にできた曲を明治になって改訂したものです。荘重な語りと三味線の合奏が聴きどころとなっています。
天下泰平・五穀豊穣を祈る『寿式三番叟』では、能の『翁』と同様に、千歳、翁、三番叟の三役が登場しますが、特に、後半の三番叟だけがでてくる部分は、力強い太夫・三味線の演奏とともに躍動的に舞います。鈴を振りながら種を蒔く動き、コミカルな演技などを見せながら、人々の願いをこめて舞い納めます。
酒商人「茜屋」の主人半兵衛の息子半七は女舞芸人の三勝と深い仲に。半兵衛は仲を許さず宗岸の娘お園と結婚させました。お園は尽くす嫁でありましたが、半七はお園に手も触れないため、半兵衛は半七を勘当し、お園は実家に引き取られました。
茜屋へ酒を求めに現れた三勝は、丁稚の長太に半七との間に授かった娘・お通を預け姿を消します。
お園は宗岸に伴われ、再び嫁として迎えてほしいと頼みますが、半兵衛は、お園のためを思い承知しません。そして、お園は帰らぬ夫をなお案じるのでした。
その時、乳を求める幼子の声がしてお園に縋りつきます。顔を一目見て、お園は、半七と三勝の子とわかり抱き上げます。お通の懐を探ると一通の文。三勝と半七が心中の決意を認めた書置でした…。
公演では、2演目の間に「三業解説」など、文楽にまつわる興味深いお話の時間もございます。
人形浄瑠璃文楽座の皆様をお迎えいたします
吉田和馬さま(人形遣い)
吉田玉佳さま(人形遣い)
豊澤龍爾さま(三味線)
豊竹靖大夫さま(太夫)
催し当日の様子