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【芸妓のお仕事】

昔々、テレビはもちろんのこと、
ラジオもない、当然インターネットもない時代、
花柳界の芸妓たちが流行の先端を担っていたと言われています。
装う着物の色・柄合わせ髪の結い方 髪飾り つまびく三味線 歌う唄
上流階級の奥様から町娘までこぞってが、芸妓のいろいろを真似たそう。
これぞ、ご当地アイドル!
地域の歴史や文化を華やかに魅せ続ける芸妓たち。
土佐の高知には今も時代をまたいで、芸妓が活躍しています。
「おもてなし」の心が注目されており、海外のお客様にも注目の的!
はちきん土佐芸妓たちの仕事を、さあさあ、ご覧あれ!


舞の披露

名取り、師範と資格を習得することもできます♬

日本の伝統文化の一つである日本舞踊は芸妓の仕事で一番重要です。
料亭を訪れるお客様に季節の舞や、地元の民謡の舞で喜んでいただけること…
「芸」の文字は「修練によって身につけた特別の技能・技術」
芸妓の「妓」の文字は、「酒席で音曲・歌舞などをもって客をもてなす女性」を
表しています。舞でお客様をもてなすことは、土佐芸妓の使命です。

お座敷遊びの伝承

「箸拳」「可盃(べくはい)」「菊の花」など、
土佐のお座敷遊びを知らずして「土佐のおきゃく」は語れません。
毎日のお座敷や観光イベント・PRの場面で
土佐芸妓がガイド役をいたします。
お座敷遊びの達人になって土佐芸妓として一人前!


日本国中~そして海外の方へ向けての観光PR

高知県知事や高知市長と同じ催しに参加したり、
テレビタレントの方と番組をご一緒したり。
大変責任のあるお仕事であり
いろいろな出会いがあります。

宴席でのお接待

料亭を訪れるお客様のお席でのおもてなし。
商談や、お祝い事などお客様にとって大切なお席も多く
何気ない配慮が商談成立のお手伝いとなり、
お客様に大変喜んでいただくことも。


達人との共演

全国各地で活躍している和芸の達人との共演も。
自分たちの芸を磨く刺激にもなるお仕事です。

子供たちとのふれあい

さまざまなイベントで
日本の伝統文化に触れ合っていただける
機会を作っています。
世界で活躍するために、伝統文化は必須科目!


  ほっとこうち掲載


【芸妓の修行】  

土佐芸妓になるためにも当然修行はございます。
修行といっても、土佐芸妓の修行のモットーは
「楽しみながら!」
さまざまなお稽古で基本を身につけながら仕事としてお座敷に入り、
お客様と交流しながら成長します。
そのため、想像するよりスピードデビューが叶うのが土佐芸妓。
さてさて、どんな修行をしているのかを、ちょっと覗いてみませんか?


日本舞踊

芸妓たる者、舞を舞わずしてこれ如何に
濱長の土佐芸妓は、日本舞踊・若柳流で踊りを学んでいます。
数ある素晴らしい流派の中でも
躾(しつけ)や作法に厳しい流派です。
厳しいからこそ、芸妓としての
立ち居振る舞いの学びも同時に叶います。


三味線・小唄 太鼓・小鼓

舞を舞うためには演奏者が必要です。
三味線・和太鼓など和楽器で舞踊のための楽曲を
演奏する人のことを「地方」(じかた)と呼びます。
よさこい祭りの「地方車」の名前の由来も
この「地方」から来ているものと思われます。
土佐芸妓たちは三味線・小唄を田村流、
和太鼓と小鼓を望月流で学んでいます。
ピアノやギターが得意な方は、飲み込みが早いお稽古事です。


茶道

畳のお部屋での立ち居振る舞いを学ぶために
必ずお稽古するのが茶道です。
茶道の時間は、気持ちを落ち着け、
自分自身を見つめる時間にもなります。
また、茶器や和菓子で日本の四季の移ろいを感じたりすることも
大切な学びの要素です。

習字・絵手紙

お礼状や季節のご挨拶をさらさらっとしたためるのも
お客様への大切な心遣い。
筆文字で美しく。手書きの文字は人の体を表します。
旬のものの絵柄入りだとさらに気持ちが伝わりますね。


英会話

東京オリンピックの開催が決定してから
世界中が日本の文化に注目しています。
海外からのお客様も年々増えています。
英語でのご案内は必要不可欠です。
ネイティブの先生と、皆んなで楽しく学んでいます。


着付け

お座敷でのお仕事中はもちろん、
お昼間のお得意様訪問やお稽古時には着物を着ます。
お支度の際や、お稽古前など、先輩芸妓や仲居さんに少しずつ教わります。
浴衣の着付けから始まり、少しずつできるところから。
毎日着ていると自然に上手に着こなせます。

食学

外へ飛び出して、体験しながら
地元の食材を知ることも大切な仕事。


2015年6月号ほっとこうち掲載


【歴史の語り部として】2015年7月号ほっとこうち掲載

歴史の語り部の華として生きる。
これも芸妓の道、芸妓の使命。


土佐は「自由民権運動」が盛んなととろとされています。
その中心人物・板垣退助の故郷であるととも大きいのです、が
自由民権運動の思想が民衆に広く行き護ったととも、その大きな理由の1つです。
なぜ、民衆に自由民権の思想、が広まったのでしょうか?
料亭・芸妓・お鹿敷遊びが、
自由民権の思想を広める役割を担ったと言われています。
自由民権運動活動家のひとりに、植木枝盛という人物が居ます。
板垣退助と問じく、高知出身。土佐藩の中等の藩士直枝(なおえ)が父。
板垣退助の漬説に触発されて上京を決意します。
勉強熱心な方だったようで、あらゆるととを吸収し、
主に執筆するととで自らの思想を論じられたようです。
庶民に「自由民権運動」を訴える効果的な手段として「民権数え唄」をつくりました。
銚子(千葉県)の民謡である「大漁節」のメロディーに乗せたものです。

また、同じく高知出身の活動家である安間道太郎も
「よしゃ武士」という都々逸をつくりました。
メロディーは、皆さんがよくご存知の「よさとい節」と同じものです。
ζれらの唄を、民衆に広めた役者が当時の芸妓違です。
そして、当然な、がら場所は料亭となるわけです。
芸妓達は、お座敷で披露する「お塵付き」の中で
「民権数え唄」や「よしゃ節」等を唄い・踊りました。
愚刺も入った歌詞、馴染み深い曲の「替え唄」でもあったので
お座敷で人気を博し、お客様も芸妓達と一緒に
口ずさんだり踊ったりしたようです。
もともと「お酒野き」「議論好き」の土佐。
「自由民権運動」というお題は、格好の「酒の肴」であったととでしょうし、
その「自由民権運動」の思想が盛り込まれた唄が広まらないわけがありません。
そして、土佐の女性は「はちきん」。
思慮八分自で行動を起とす、行動派な女性という立愚昧ですが、
当時の芸妓も、例に漏れず「はちきん」だったようです。
その「はちきん芸技」達が意気揚々と「民権数え唄」や「よしゃ節」を
お客様と唱い踊り明かした様子はさぞ、賑やかなととだったと思います。

日本では「特別地方消費税」という税金制度が2000年3月引日まで
撞行されていました。
「特別地方消費税」とは、明治時代の「地方税規則」にある「雑種税」のようです。
「料理屋・旅寵屋・芸妓などに対して課税するととが認められていました。
稲荷町に「松鶴楼」という料亭があり、「愛吉」という大変利発な芸妓が居り、
愛吉は芸妓仲間の君鶴・亀子・八重松・若常らを率いて
時一官接税値上げ議案の高知県議会を傍聴したそうです。
乙の傍聴は、高知県議会初の女性傷聴・第一号でした。
また愛吉は、「土陽新聞」に「芸妓諸君に告ぐ」と題した論文を投書。
その内容は「昔話妓蔑視」に対する抗議だったそうです。
土佐の自由の魂を、庶民の心に花聞かせたのは土佐芸妓である、という所以を
語らせていただきましたが、料亭漬長・土佐芸妓が、
その意志を受け継いで「よしゃ武士」「人権かぞえ唄」等を披露させていただいております。


お酒の席・・・というと、
楽しく心者開放的に古せるととが
まず最初に浮かびますが、
その気持ちをオープンにできる時だからとそ
本音を語る大切な時聞になる・・・と言えます。
内閣総理大臣などを務めた吉田茂先生や、
大相撲・先々代九重親方である千代の山関など、多くの重鎮も、
潰長のお座敷に度々顔をお見せいただいており、
さまざまな方と、交流・議論を深めておりました。
その中で、お座敷遊びで場を盛り上げる、
郷土の民謡で舞を披露する、お酒をもて立す者、と機転をきかし、そのお席を最高のものにするの、が芸妓の仕事です。
芸技の手腕ひとつで、宴の席が未来を明るくするか否かがかかっている、と言っても
過言ではないかもしれません。



【よさこい祭りの伝道師として】ほっとこうち2015年9月号掲載

 よさこい祭りは、1955年(昭和29年)、第二次世界大戦の傷跡がまだまだ全快とはいえない高知の町を元気づけようと有志が集まり、立ち上げたお祭りです。発起人として立ち上がった高知の名立たる経済人の末席に、 料亭濱長・初代店主であった濱口八郎も名を連ねていたそうです。高知商工会議所の観光部会であった八郎。
「にぎやかな夏の祭りを作り、高知を元気にしたい」…
と、なんとその年の6月に思い立ったとか。
 当時、濱長の馴染みであった、作詞作曲家の武政英策先生に熱意をもって頼み込み、話を瞬く間に進めました。振付けは日本舞踊5流派の師匠の先生方に集まっていただきケンケンガクガク、夜な夜な濱長に集まっていただいて、形を整えたそうです。
 こうしてできた「よさこい祭り」は60年の時を経て年々賑やかになり、現在は地元高知はもちろんのこと、日本全国から多くの方が参加をする高知の夏になくてはならない風物詩となりました。


 それから55年…2012年の7月。祖父の思いを温め、絶やさぬようにするためには、 「私もやらんといかん」と、当時若女将であった、現濱長の女将・濱口実佐子が「濱長・花神楽」として、祭りの連を立ち上げ、今年6回目の連続出場。衣裳・音楽・踊りなど構成すべて、日本の文化の美しさを重んじる料亭らしい「和」のイメージ、「土佐らしさ」を現代の日本の景色や、踊り子さん、見物される皆様のハートにマッチするようにアレンジ。
 料亭の連、また高知県観光特使の女将が率いる連として高知県内の観光イベントや祭典、企業・団体様の会合や宴席、東京のスーパーよさこい、沼津の東海道よさこい台湾や韓国での海外演舞などへ出かけています。

濱長の芸妓も、よさこい祭り当日は全力で応援します。通常の仕事の合間をぬって、浴衣姿で涼やかに凛と、よさこい踊りの元々である、日本舞踊の流儀を披露します。初代店主の思いを紡ぎ続けるために、芸妓の存在は大切です。


芸妓たちは、料亭を訪れるお客様のために、日々、土佐民謡として唄われる「よさこい節」の舞を披露します。イベント時には「正調よさこい鳴子踊り」を披露したり、
時には、濱長花神楽の楽曲で、日本舞踊アレンジした迫力のある舞で魅了したり。
 ほぼ毎日「よさこい」に触れるのが、芸妓の仕事。よさこい大好きのあなたに土佐芸妓の仕事はうってつけなのかもしれません。芸妓になって、「めざせ!よさこいマスター」!



【芸妓・舞妓の花舞台】ほっとこうち2015年8月号掲載

呉服屋さん、和菓子屋さんなど日本の伝統文化を重んじる職業はいろいろあります。料亭も、もちろんその中の一つです。日本料理の伝統、季節折々の行事やお祝い事など、料亭はさまざまな伝統文化がいきづいており、芸妓達は多くの役割を担っています。その中でも要になるのが日本舞踊です。お座敷で踊る姿を披露することはもちろんですが、日本舞踊は、日本女性らしい美しい立ち居振る舞いや行儀作法の基礎づくりに役立ちます。着物の着こなしも日本舞踊を習うことにより、美しく、そして動きを妨げない、自然なものに仕上がってきます。
また、民謡や小唄の趣に触れることにより、郷土の歴史や名物、季節の花の美しさに気づきを得られます。
日本舞踊のお稽古…伝統芸能の道を究めることは大変ですが芸妓にとってはとても重要なことです。


日本舞踊にはたくさんの流派がありますが、料亭濱長の芸妓は「若柳流(わかやぎりゅう)」です。
現在、芸妓二名が名取り(なとり=踊りの技術が認められ、流派の名前を名乗ることができるようになること)となり、舞妓一名は師範(しはん=自らが踊ることだけにとどまらず、技術や流儀を教えることができる資格)です。
日本舞踊の披露の舞台は、料亭の仕事として、お座敷や観光イベントなどで披露することはもちろんですが、上達すると、年間を通じてさまざまな大きな舞台を経験することができます。かるぽーとの舞台で華やかな衣裳を身にまとい、観客の視線を一手に受け、魅了する…
日々精進すれば、まぶしく輝ける場所がある…芸妓の仕事の遣り甲斐の一つです。


職業育成だけでなく、
次世代の子どもや学生達の育成にも力を注いでいます。
よさこいチーム・濱長花神楽で日本舞踊の要素をふんだんに取り入れた振り付けに
魅力を感じていただき、本格的に日本舞踊を習ってみたいという
子どもたちもちらほら出てきてくれています。
そのがんばりの成果を披露する舞台としても
土佐をどりは一役買っています。


毎年初夏に、高知県下の日本舞踊各流派が集う「白鷺会」の舞台にて(かるぽーと大ホール)