皿鉢の歴史と文化紹介
*紀貫之「土佐日記」より
10世紀、土佐の国司として派遣された紀貫之が綴った『土佐日記』に
都へ戻る貫之のために、土佐の人たちがもてなした宴を記した箇所があり
その中に皿鉢料理らしきものに触れています。
*五穀豊穣を祝い、神に感謝する捧げものを分かち合う
五穀豊穣を祈願するお祭りや収穫を神様に感謝する収穫のお祭りでは
神前にたくさんの食物が供えられます。
そのお供えもののことを神饌(しんせん)・御饌(みけ)・御贄(みにえ)と呼んでいます。
神事が終わると、それら神饌を参列した人たちで分かち合います。
この行為を「神人共食」(しんじんきょうしょく)と言い、
日本の祭りの特徴であるとも言われています。
皿鉢料理のルーツも、その「神饌」料理だとされる説がございます。
*行事食「ハレの日」のもてなし料理として進化する
神事の際の儀式食が発展した皿鉢料理は、ひとまず行事食として進化をします。
「晴れ食」と呼ばれる類いです。
江戸時代に綴られた旧家の日記などに、お祝いの席の献立として皿鉢があったことが記されています。
正式な儀式食である本膳料理の前後に宴を彩るためにもてなされていたようです。
また、格式ばらず気楽に楽しんでください、
という心配りにも大皿に豪快に盛られる皿鉢は活躍していたようです。
*江戸時代は「贅沢品」
「剛健質素」を藩是とした土佐藩の支配下に入り、
皿鉢は贅沢品と見なされ庶民は手の届かないものとなりました。
武家、豪商、豪農など一部の階級が宴席料理としての皿鉢となったようです。
*明治〜大正〜昭和 と発展する皿鉢
明治維新後、封建的な身分制度の廃止もあり、皿鉢は再び庶民の風習の中に入ってきました。