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初代女将・千代子の日記

20.お四国参り

家族、店のことも忘れ

白装束を身につけ、かわいい孫を連れてのお四国参り。 左端が筆者(徳島県の藤井寺)

私が「お四国参り」を始めたのは三十年ほども前のこと。当時、東京の高校に通っていた二男が交通事故に遭いましてね。大きな手術をして、それが治ったお礼に夫婦ではじめたのです。
そのうち、その子が運転免許をとったので、休みで帰ってきた時には乗せてもらい、親子三人で回りました。最初は札所についての知識は全くなく、道を尋ね尋ねてのお札参り。八十八カ所を全部回るのに二年くらいかかりました。
次は塩見俊二先生の夫人後援組織「さんご会」の会長で、産婦人科のお医者さんだった寺尾澄江先生と一緒に回りました。寺尾先生とは、さあ五回くらい回ったでしょうか。先生は、ご自分がお医者さんなのに「濱長さん、世の中には科学だけでは解決できないことがいっぱいありますよ」と、よくおっしゃっていました。
私も回を重ねるごとに、目に見えぬ何かにひかれ、心のやすらぎを覚えるようになりました。二男のけがが札所回りを始めたきっかけでしたが、重い足をひきずりながら石段を上がり、ご本尊の前に手を合わせると、家族のことも店のことも忘れ、無我の気持ちになれるようになりました。
寺尾先生のあと、現在は主人の妹と誘い合って回っています。春になれば桜が咲くところ、秋は紅葉が美しいお寺、という具合。ことしも三月に十九カ所回って参りました、
平成三年は五歳の孫を初めて連れて行きました。この子は生まれたばかりのころ、病気で幼い命を失いかけたことがあります。それがすっかり丈夫になり、私たちと同じようにお経を唱え小さい手を合わせるではありませんか。そのいじらしい姿を見て、周りの人が「まあ、お稚児さんみたい」と言って、頭をなでてくださいました。

大変身した部長さん

うちの店のお客さんの中にも、私の話を聞いて「お四国参り」を始めた方がいらっしゃいます。昭和五十八年ごろ高知営林局の経営部長だった林寛さんもその一人です。
ある日、私が愛媛県の横峯寺に行くのを知り、「どうしても連れて行ってくれ」と言い出しました。そして約束の日、がっちり登山靴をはいて現れました。さらに驚いたのは、向こうで車を降りてからの山道を勢いよく歩き通されたことでした。
考えてみれば、営林局のお役人ですから山道には慣れていたのでしょうが、私は宴席での林さんしか知らなかったので驚きました。
これがきっかけで、林さんはその後も札所回りを続けていたようでしたが、しばらくしてまた私がびっくりすることがありました。
ある日、林さんがうちの店で主人と話し込み泊まったことがございました。翌朝、私が食事の支度に起きると、どこからかお経が聞こえるではありませんか。不思議に思って行ってみると、なんと林さんが一心不乱に般若心境をあげていました。その姿は、まるで本当のお坊さんのようでした。
林さんは翌年、県外に転勤になりましたが、昨年の夏、突然電話をくださいました。そして、とうとうお坊さんの資格をとったと言うのです。これには、またまたびっくりしました。
林さんをそこまでひきつけたのが一体何だったのか。それは私にも分かりません。