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初代女将・千代子の日記

19.市丸ねえさん

お店を支えた指南役

市丸さん(左端)をひいきにしていた公平高知営林局長。真ん中が筆者(旧「濱長」本店)

「事業は人なり」と申しますが、うちの店のことを話すのに「市丸ねえさん」を抜かすわけにはまいりません。
店が南はりまや町に移転して間もない昭和二十四年ごろ、市丸さんは得月楼から移ってきました。とびきりの美人で芸達者。たちまち人気者になりました。
しかし、私が市丸さんに感謝しているのは、そういうことだけでなく、おかみの経験がまだ浅かった私の指南役として、お客さんとの接し方、仲居さんのしつけなど、あらゆる面で力になってくれたことでした。
夜は遅いのに、朝九時ごろには店へ来て、よく私を誘いお得意さん回りをしてくれました。お役所や会社へ行くのです。遠いところは電車に乗ればいいのに、市丸さんは「おかあさん、おないどしを使いましょう」と言って歩くのです。「おないどしを使う」のが、どうして歩くことなのかよく分かりませんでしたが、とにかく少々雨が降っても平気で歩きました。
先方へ顔を出すと、どこでも大変な人気。「よう市丸来たか」「いっちゃん、ゆっくりしていきや」とみなさんが声を掛けてくださり、その夜さっそく店へ来てくださるお客さんもいらっしゃいました。
店でのお客さんの扱いも心得たもの。私がお客さんに「はし拳」で勝ち続けたりすると「三回に一回は負けんといきません」と小声で注意してくれました。
ごひいきになっているお宅でご不幸があった時は、よく二人でお葬式にまいりました。「お祝いごとはご案内がないとうかがえませんが、お葬式はそうではないですからねえ。つとめて行くことにしましょう」と新聞広告にはいつも注意しておりました。この教訓はいまも守られています。

公平局長のお気に入り

昭和四十六年から二年間高知営林局長だった公平秀蔵さんも、市丸さんをひいきにしていた一人でした。
初めてお見えになった日、お相手をした市丸さんが翌日、私に「今度の局長さんはなかなかしゃんとした方ですよ」と耳打ちしてくれました。それは、立派な方という意味のほかに、ちょっと気難しいところがあるというような口ぶりでした。そのころ、営林局は一番と言っていいほどのお得意でしたので、市丸さんも気になったのでしょう。
次にお見えになった時、座敷に出た私があとで市丸さんに「あんたが言うほどのことはないじゃいか」と申しますと、市丸さんはこんなふうに教えてくれました。
「気に入らないと口に出しておこる人はしよいが、あの局長さんは口に出しません。そのぶん、気を配ってあげないといきません」
口に出す代わりに、ひたいの筋がぴくぴくっ動くというのです。さすがだな、と感心しました。公平さんは、お飲みになるのはビールだけ。それも普通の半分くらいの小さなグラスでお飲みになるのが好きでした。市丸さんと二人で、専用のグラスを買いに行ったほどです。
私より一回りほど年上だった市丸さんはだいぶ前に亡くなりました。入院した時、どこで聞いたのか公平さんが県外からお見舞いにきてくださいました。「早く元気になってね」と励ます声に、市丸さんの顔が嬉しそうでした。