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初代女将・千代子の日記

17.二人の本部長

アロハでぶらり

千代の山関と舞台に立つ高木県警本部長(旧「濱長」本店)

有名な岸本社長殺害事件があった昭和三十一年ごろ、高知県警本部長だった高木貞年さんは実に天衣無縫、警察の方としては、それはそれは型破りでした。
当時、高知新聞社の警察回り記者で後の取締役になった梅原薫明さんと大の仲よし。よくご一緒に来てくださいましたが、ある日、まだ明るいうちにアロハシャツで、それも豆千代さんという舞妓(まいこ)まで連れてお見えになったのには驚きました。
高木さんは、日ごろから堅苦しいのが嫌いで、軽装でお出かけになることが多かったようです。ご本人にしてみれば、料亭へ行くのにアロハは当たり前、くらいのお気持ちだったのでしょう。梅原さんはよく高木さんのことを「アロハの本部長」とおっしゃっていました。
そんな調子ですから、お座敷でも歌や踊りでにぎやかなこと。先に書きました横綱千代の山関にもお引き合せしたところ、すっかり意気投合し、ご覧の写真のように仲よくマイクを握ったこともございました。
ただ一つ、お小用をしたくなると、がらがらっと廊下のガラス戸を開け、庭に向かって勢いよく用を足すことがちょいちょいあったのには閉口しました。
トイレにご案内しようとした仲居さんが見ていても平気の平左。これがほかの方なら傍若無人と非難されたでしょうが、高木本部長さんの場合は例外。同席のお客さんもいやな顔をなさったり、どがめたりすることが全くございませんでした。
それは誰にも親しまれたお人柄だったからだと思います。

「お茶を」と言われて

千代の山関と仲よく飲んだり歌ったりの高木県警本部長(旧「濱長」本店)

その高木さんの前、つまり国家地方警察から県警察に替わったときの初代本部長が、後に人事院総裁になった内海倫さん。高木さんとは好対照の物静かな方でした。
ある日、お酒がほぼ終わったところで「お茶を所望しようかな」とおっしゃいました。そこで、私がお茶を入れてお出ししたところ、手に取ろうともされず「これは違う」と言われるのです。
私は何がどう違うのか訳が分からず困ってしまいました。すると、小さな声で「僕が欲しかったのはお薄のことだよ」と教えてくださいました。
私は翌日からお茶の先生のところへ一週間を通いつめ、即席ながらお薄のたて方を習いました。いま考えると、お客さんに精いっぱいのおもてなしをしなければならない料理屋のおかみとしての意地だったかもしれません。
そして幾日かたち、内海さんが次にお見えになったとき、お薄をたててお出しすることができました。「ああ、これだよ」と、褒めていただいて嬉しかったのをいまも忘れることはできません。
内海さんとは三年前、三十数年ぶりにお目にかかることができました。いまの鏡川べりの店へおこしになったのです。
内海さんは最初、私の顔をお忘れになっていたようでした。しかし、ごあいさつする声を聞いて「あ、思い出した。あの時のおかみさんですね」とおっしゃってくださいました。それは「お茶を」と言われたときを同じ静かなお声でございました。