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初代女将・千代子の日記

15.佐田の山関

無口で地味なタイプ

佐田の山関(境川元理事長)とカメラに納まった筆者(旧「濱長」本店)

お相撲さんに対する主人の熱の入れようは尋常一様ではありませんでした。高知巡業の時は店の入り口に力士ののぼりを立て、夜はひいきの千代の山関ら出羽一門の関取や若い人を大広間に集め、飲ませたり食べさせたり。本当にお相撲一色になりました。
千代の山関の弟弟子で、現在は日本相撲協会の理事長をなさっている現境川親方の佐田の山関をはじめ、現陣幕親方の北の富士関らもきました。みなさん立派な横綱、親方になりましたが、うちの店では本当にくつろいで楽しそうにお酒をぐいぐい飲んでいました。
千代の山、北の富士関が歌も上手、踊りも達者だったのに比べると、佐田の山関はお相撲の取り口は別にして、どちらかと言えば無口で地味なお関取でした。
横綱になったのが昭和四十年三月。その翌年くらいだったと思います。同門のお相撲さん二、三人とうちの店にきてお酒を飲んでいた時のことです。ちょうど塩見俊二先生が高知にお帰りになっていて、別の部屋でマージャンをしていらっしゃいました。
そのうち、だれかの口から佐田の山関がきているのを聞いた先生が私に「ここへ呼んでくれ」と言い出しました。先生は佐田の山関とは面識がなかったのですが、親方とはお知り合いだったらしいのです。
しかし、私は困りました。相手は天下の横綱です。それに、うちの子供をおふろに入れ背中を洗ってくれたりしていた千代の山関ほど親しい関係ではなかったものですから、いかに先生のご希望でも、佐田の山関が承知してくれるかどうか自信がありませんでした。

気配り忘れぬ優しさ

佐田の山関ら巡業のお相撲さんとにぎやかに (旧「濱長」)

私が佐田の山関に「参議院議員の塩見先生がお呼びになっていますが…」と伝えますと、案の定、ぴしゃりと断られました。
「おかみさんには巡業にくるたびにお世話になっていますが、きょうは自分たちだけの息抜きにきているので、そういう席には…」
もちろん横綱としてのプライドもあったでしょうし、これは佐田の山関のほうが筋が通っていました。
ところが、私が断られたことを先生のところへ言っていくこともできず、うろうろしていますと、しばらくして一緒にいたお相撲さんが私を呼びにきました。そして、佐田の山関が「おかみさんの紹介ですから、おうかがいします」と承知してくれたのです。
塩見先生の部屋へいった横綱は「佐田の山です。よろしくお願いします」と礼儀正しいあいさつ。
先生も「やあ、よくきてくれた。ありがとう」と上機嫌。いつの間に用意させたのか、ご祝儀を渡されました。
たったそれだけのことでしたが、私は佐田の山関が私の立場を考え、私の顔を立ててくれたことがうれしく、感謝しました。
しかも、横綱の気配りはそれだけではありませんでした。お酒が終わって店を出るとき、送りに出た私にそっと「下働きの人にあげてください」と言って、ご祝儀袋を差し出したのです。中には二万円入っていました。
私ども夫婦は、お相撲さんにごちそうしたり、ご祝儀をあげたりしたことは随分ありましたが、お相撲さんにお心付をいただいたのはこの時だけ。横綱は強いだけではないのだな、と思いました。