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初代女将・千代子の日記

11.溝渕さんへのウソ

知事選立候補のうわさ

塩見俊二先生が大阪国税局長を最後に大蔵省を退職したのは昭和三十年四月。その直後のことです。四国銀行の頭取になるか、高知県知事選に出るのではないか、といううわさがたったことがありました。
ご本人はあくまでも参議院選が目標で、そんな気持ちはさらさらなかったようなのですが、当時副知事だった溝渕増巳さんはかなり気にしていたようでした。それはそうでしょう、溝渕さんは川村和嘉治知事に対抗し、次の知事選に打って出る決意を既に固めていたからです。
もし、塩見先生が知事選へ出るようになれば話がややこしくなります。そこで、ある日の夕方、おそらく真意を確かめる目的だったのでしょう、鏡川べりの私どもの別館に塩見先生を訪ねてこられました。
その時、先生は南はりまや町の本店の一室で、高知新聞社の役員だった小松鶴喜さんと碁を打っていらっしゃいました。先生と小松さんは前々からの碁仲間でした。
私が本店に行って、溝渕さんがお見えになっていることをお知らせしたところ、先生はろくに話を聞こうともなさらず「ほうっちょけ、博多へでもいちゅうと言うちょいてくれ」とおっしゃって相変わらずパチリパチリ。知事選に出るつもりが全然なかった先生は、溝渕さんの心配がばかばかしかったのかもしれません。
しかし、困ったのは私です。別館に戻り先生に言われたとおり「博多の方にお出かけになっています」と申し上げたところ、溝渕さんは「では、帰るまで待たしてもらう」とおっしゃるのです。

「わやにすな」と溝渕さん

溝渕増巳知事を囲んで。右端が筆者(県庁知事室)

さあ、それから何時間たったでしょうか。溝渕さんは夜になってもお酒を飲みながら帰ろうとしません。「まだ帰ってないか確かめてほしい」とおっしゃるのです。そこで、また店に行ってそう伝えますと碁を続けていた先生が「しょうがない。ここへ呼んでくれ」と、とんでもないことを言い出されました。
碁を打っているところへ溝渕さんをご案内すれば、私がウソをついていたことがわかってしまいます。「それでは私が困ります。お洋服に着替えて別館に行ってくださいませんか」とお願いしましたが、先生はいっさいお構いなしでした。
やむを得ず、私が溝渕さんに「実は…」と碁を打っていたことを白状しますと、あの温厚な溝渕さんがさすがに怒りました。
「わやにすな。わしは地元の人間ぞ」
それから、本店に行った溝渕さんと先生の間で、どんな話があったのかは存じません。先年亡くなった小松さんにうかがっておけばよかったと、いまになって思うのです。
この話を私がどうしても忘れることができないのは、腹を立てた溝渕さんを私が見たのは後にも先にもこの時だけだったからです。私の主人の親類が伊野町の大内にいて、溝渕さんのお生まれになったところと近かったこともあり、私は溝渕さんに前々から親しみを感じていました。
溝渕さんもまあ、私の顔を見ると必ず「だんなは元気かよ」と声をかけてくださいました。そんな気配りを忘れぬ溝渕さんに、やむを得なかったとはいえウソをついた。申し訳ない気持ちが、いまだに私から消えません。