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初代女将・千代子の日記

8.塩見VS坂本

「さんご会」を結成

塩見俊二さんらを囲んで開かれた「さんご会」のパーティー

塩見俊二先生にとっては二回目、昭和三十七年の参議院選挙は大変でした。全国区だった先生が高知県地方区へ回り、地方区選出の社会党、坂本昭先生と現職同士の対決だったからです。
後に高知市長になった坂本先生はもともとがお医者さん。聴診器を手に県内をこまめに回り人気を集めていました。一方、塩見先生は同じ参議院でも全国区だったこともあり、どうしてもなじみが薄くマスコミの下馬評でも坂本優勢の声が圧倒的でした。
そこで、気が気でなかった私は、先生の秘書の森下茂兎美さんのご依頼を受け、婦人票を集めるため女性だけの後援会結成のお手伝いをすることになりました。


「さんご会」の奨学資金増成パーティー

それまで、選挙での女性の役割は事務所などでの裏方が関の山。いまでこそ大きな選挙では婦人部隊が活躍しますが、少なくとも県内では、私たちが初めてでした。
産婦人科のお医者さんだった今は亡き寺尾澄恵さんを会長に「さんご会」という組織をつくり、土電会館のホールで結成大会をしました。「さんご会」の名称には、寺尾さんが産婦人科の先生だったので、さんごの肥立ちがよくという気持ちと、サンゴのように土佐を代表する政治家になってほしいという、塩見先生に対する願いが込められていました。会員にはサンゴのバッジをつけてもらうことにしました。製作費は一個二百五十円。寄付集めに大阪など県外にもまいりました。
結成大会は大成功。来賓だった当時の溝渕知事さん、高知商工会議所の西山会頭さんらも熱気でむんむんする会場を見て「おかあちゃん、えらいもんじゃのう」と驚いていらっしゃいました。

県外からの応援部隊

もう一つ、この選挙で大きな役割を果たしたのは県外からの応援でした。お酒屋さん、薬屋さん、お菓子屋さん、それこそ、ありとあらゆる業界の方々が塩見先生の応援にまいりました。この方たちは決して表面には出ません。私どもの旅館を根城に、取引先などを通じ票固めをしていたようでした。
でも、このことは絶対に秘密で、主人に固く口止めされていました。県外から応援がたくさん来ていることが分かると、相手方にそれを封じ込める手を打たれますし、味方の陣営内にも感情的な反発を招く心配があったからです。
土佐人はやや排他的なところがあります。だから「それほど県外の人にやってもらうのだったら、わしらあ手を引く」という声が出はしないか、と気を遣ったのです。


参議院議員選挙中のひとときをくつろぐ塩見俊二夫妻(「濱長」別館=高知新聞社提供)

このような努力が実り、選挙の結果は、
塩見俊二 二一八九三三 
坂本 昭 一六〇二四八 
林田芳徳 一七一二九 

まさに予想を覆す大勝利でしたが、この選挙が終わると、夫の濱口八郎は個人的なお付き合いは別にして、先生の選挙からは一切手を引きました。
その理由を当時の福田義郎高知新聞社長に聞かれ、主人が次のように答えていたのを覚えています。
「これまでの塩見選挙は手押し車みたいなもんじゃったが、これで立派な自動車になった。もう私らあが出る幕ではありません」
それほど、この選挙は塩見先生にとって重要な選挙だったのです。