TOPICS

  • 晴れの日のおきゃく和婚
  • おすすめコース
  • 料金プラン
  • ご予約の手引
  • 濱長Facebook
  • 私たちはピンクリボン運動に取り組んでいます。

濱長の歴史・想い

料亭濱長ものがたり

昭和十二年、高知市菜園場の長屋で
おでん屋「濱口」として創業。
昭和二十一年、料亭「濱長」として土佐のお座敷にあがりました。
濱長の名には末永く贔屓にしていただけるようにとの願いが込められています。


「濱長」は、昭和十二年、小さなおでん屋から始まりました。先代の濱口八郎がまだ、酒屋の店員をしていた頃のことで、生活が苦しく、食べていくのに必死の時代でございました。どうせ酒を売るなら沸かして売れば儲けになると教えられ、高知市菜園場の九軒長屋の狭い家を半分に仕切り、大おかみ千代子が開いたもので、これが「濱長」のまだ名もなきスタートとなったのです。
やがて戦争の足音が近づき、八郎も召集。もし我が身になにかあればと、妻と三人の子供が困らぬように酒の配給権を買い取り、店をやめろという八郎に、千代子は「お金は使うたら減るが、体は使っても減らん。私は働きます」と言ったのだそうで、それはまさに土佐のはちきんの気丈さと申しましょうか。その千代子の決心が今日の礎となりました。


終戦後、八郎は無事戻り、昭和二十一年に永国寺の武藤家のお屋敷を借りて店を始めます。この時から私どもは「濱長」と名乗ることになりました。末永く贔屓にしていただけるようにとの願いが込められております。
その後、昭和二十三年に南はりまや町に移転。昭和六十一年に現在のこの場所に移って参りました。この間、濱長は政界財界の先生方をはじめ、さまざまなお客様のご贔屓に預かって参りました。厚生大臣や自治大臣を歴任された塩見俊二先生、池田勇人元総理、また、第四十一代横綱千代の山さん。それこそ、数え上げたらきりがないほど、すばらしい皆様との出会い、貴重なエピソードの数々を「濱長」は、この胸に大切にしまってございます。

しかし、時代のあまりに早い変わりようを止めることがはできず、官官接待の廃止などを受けて、平成十三年に、やむなく店を閉めたのでございます。その年は「魚竹本店」「祢保希」と次々にしにせ料亭が門を閉ざした年でもありました。
そして、この度の 「濱長」復活。私どもは再び「濱長」の歴史、その続きを綴って参りたいと存じます。