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土佐芸妓

【歴史の語り部として】2015年7月号ほっとこうち掲載

歴史の語り部の華として生きる。
これも芸妓の道、芸妓の使命。


土佐は「自由民権運動」が盛んなととろとされています。
その中心人物・板垣退助の故郷であるととも大きいのです、が
自由民権運動の思想が民衆に広く行き護ったととも、その大きな理由の1つです。
なぜ、民衆に自由民権の思想、が広まったのでしょうか?
料亭・芸妓・お鹿敷遊びが、
自由民権の思想を広める役割を担ったと言われています。
自由民権運動活動家のひとりに、植木枝盛という人物が居ます。
板垣退助と問じく、高知出身。土佐藩の中等の藩士直枝(なおえ)が父。
板垣退助の漬説に触発されて上京を決意します。
勉強熱心な方だったようで、あらゆるととを吸収し、
主に執筆するととで自らの思想を論じられたようです。
庶民に「自由民権運動」を訴える効果的な手段として「民権数え唄」をつくりました。
銚子(千葉県)の民謡である「大漁節」のメロディーに乗せたものです。

また、同じく高知出身の活動家である安間道太郎も
「よしゃ武士」という都々逸をつくりました。
メロディーは、皆さんがよくご存知の「よさとい節」と同じものです。
ζれらの唄を、民衆に広めた役者が当時の芸妓違です。
そして、当然な、がら場所は料亭となるわけです。
芸妓達は、お座敷で披露する「お塵付き」の中で
「民権数え唄」や「よしゃ節」等を唄い・踊りました。
愚刺も入った歌詞、馴染み深い曲の「替え唄」でもあったので
お座敷で人気を博し、お客様も芸妓達と一緒に
口ずさんだり踊ったりしたようです。
もともと「お酒野き」「議論好き」の土佐。
「自由民権運動」というお題は、格好の「酒の肴」であったととでしょうし、
その「自由民権運動」の思想が盛り込まれた唄が広まらないわけがありません。
そして、土佐の女性は「はちきん」。
思慮八分自で行動を起とす、行動派な女性という立愚昧ですが、
当時の芸妓も、例に漏れず「はちきん」だったようです。
その「はちきん芸技」達が意気揚々と「民権数え唄」や「よしゃ節」を
お客様と唱い踊り明かした様子はさぞ、賑やかなととだったと思います。

日本では「特別地方消費税」という税金制度が2000年3月引日まで
撞行されていました。
「特別地方消費税」とは、明治時代の「地方税規則」にある「雑種税」のようです。
「料理屋・旅寵屋・芸妓などに対して課税するととが認められていました。
稲荷町に「松鶴楼」という料亭があり、「愛吉」という大変利発な芸妓が居り、
愛吉は芸妓仲間の君鶴・亀子・八重松・若常らを率いて
時一官接税値上げ議案の高知県議会を傍聴したそうです。
乙の傍聴は、高知県議会初の女性傷聴・第一号でした。
また愛吉は、「土陽新聞」に「芸妓諸君に告ぐ」と題した論文を投書。
その内容は「昔話妓蔑視」に対する抗議だったそうです。
土佐の自由の魂を、庶民の心に花聞かせたのは土佐芸妓である、という所以を
語らせていただきましたが、料亭漬長・土佐芸妓が、
その意志を受け継いで「よしゃ武士」「人権かぞえ唄」等を披露させていただいております。


お酒の席・・・というと、
楽しく心者開放的に古せるととが
まず最初に浮かびますが、
その気持ちをオープンにできる時だからとそ
本音を語る大切な時聞になる・・・と言えます。
内閣総理大臣などを務めた吉田茂先生や、
大相撲・先々代九重親方である千代の山関など、多くの重鎮も、
潰長のお座敷に度々顔をお見せいただいており、
さまざまな方と、交流・議論を深めておりました。
その中で、お座敷遊びで場を盛り上げる、
郷土の民謡で舞を披露する、お酒をもて立す者、と機転をきかし、そのお席を最高のものにするの、が芸妓の仕事です。
芸技の手腕ひとつで、宴の席が未来を明るくするか否かがかかっている、と言っても
過言ではないかもしれません。